1890年(明治23)の設立以来、東京の伝道拠点として根づく銀座教会。
約130年に渡るこれまでのあゆみを紹介します。
銀座教会設立の経緯は、1875年(明治8)に宣教師ジュリアス・ソーパーによって創設された築地美以教会に遡ります。築地美以教会は設立以来、様々な活動を開始し、1884年(明治17)には東京福音会が銀座に開設。その6年後に銀座美以教会の創設が決定します。築地美以教会から70人あまりが銀座美以教会に転会し、銀座教会の歴史が始まりました。
銀座教会の前身となる築地美以教会は、東京におけるメソジスト最初の教会として、1875年(明治8)、ジュリアス・ソーパーにより設立されました。ソーパーは、米国メソジスト監督教会の宣教師として1873年(明治6)に来日。築地美以教会を中心に、様々な活動を行います。1881年(明治14)には、後に青山学院の母体となる耕教学舎を設立するなど、明治期の日本において、メソジストの活動に大きな貢献を果たしました。
銀座教会は英語学校や禁酒運動などの活動や、1901年(明治34)から始まった二十世紀大挙伝道などにより、徐々に会員数を広げていきます。1902年(明治35)には、築地美以教会と銀座美以教会が合同し、中央美以教会となります。さらに1905年(明治40)にはカナダ・メソヂスト教会を含めた三派が合同。1912年(大正元)の第二次会堂完成の後は、各地に枝教会が設立されるなど、銀座教会は大きく発展することになりました。
1923年(大正12)9月に発生した関東大震災により、銀座教会は大教会堂が外壁を残して焼失するなど甚大な被害を受けます。しかし、会堂の復興に向けた募金活動により、教会員だけでなく一般市民からも多くの寄付金をいただき、1928年(昭和3)に新たな会堂(第三次会堂)が設立されました。
1930〜1940年代に入り、日本全土が戦争への歩みを進めていく中、銀座教会では英語学校は1941年(昭和16)に閉鎖されたものの、聖日礼拝は続けられました。1943年(昭和18)年には正午礼拝も開始。戦火が激しさを増し、多くの教会が東京の中心地から撤退を余儀無くされる中でも、銀座教会の礼拝は続けられました。
戦時下では、多くの信徒が勤労動員や徴用などにより聖日礼拝に赴くことが物理的に難しくなりました。銀座教会には、教会員だけでなく他教会員や周辺で働く教職・信徒たちからも、平日昼休みの礼拝を求める要望が多く寄せられました。こうした声を受けて1943年(昭和18)4月に開始されたのが、「正午礼拝」です。以降今日に至るまで、正午礼拝は銀座教会独自の取り組みとして大切に受け継がれています。
1945年(昭和20)に戦争が終結し、1946年(昭和21)には、閉鎖されていた福音会英語学校が再開されます。戦時下でも続けられていた日曜学校(教会学校)と合わせ、メソジストの伝統を受け継いだ社会福祉事業が、再び積極的に開始されました。
教会の活動が活発化していく中、第三次会堂は1953年(昭和27)に改修・増築がなされたものの老朽化・損傷が激しく、1982年(昭和57)に新たな会堂が建設されました。現在の教会の姿となる第四次会堂「銀座教会堂」は、大礼拝堂・小礼拝堂、大小複数の集会所を設け、屋上には鐘楼を設置。礼拝などの宗教活動だけでなく、地域利用を念頭に置いた多目的に利用できる教会として、銀座の街に根づいています。
メソジストとは、18世紀にジョン・ウェスレイによって興った信仰です。聖書・理性・体験を重視し、規則正しい生活を心がけます。また、教育機会に恵まれない子どもへの教育に端を発した日曜学校や讃美歌の普及などの社会福祉事業も積極的に行われてきました。
銀座教会はこのメソジストの伝統を忠実に守り、英語学校や日曜学校などの様々な活動を続けています。
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