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銀座の鐘

創造に先立って知られたキリスト

説教集

更新日:2023年12月17日

2023年12月17日(日)待降節第3主日 銀座教会クリスマス家庭礼拝 牧師 近藤勝彦

ペトロの手紙一1章20~21節

 アドベントの第三主日を迎えました。来週はクリスマス礼拝がささげられます。イエス・キリストがパレスチナの地に誕生され、その生涯を送られたのにはどういう意味があったのか、世界中の人々が思いを向けるときではないでしょうか。
 何度か礼拝で読み進めてまいりましたペテロの手紙一も丁度その箇所にさしかかっています。20節に「キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました」とあります。「あなたがたのために現れてくださいました」というのは、「誕生した」という言葉ではありませんが、姿を現わし御自身を示されたことで、クリスマスでの誕生からその生涯の全体にわたって御自分を現し、神から使命を果たされたことを意味しています。そして主イエスが現れたのは、終わりの時代を画することでもあったと記されています。
 文章のつながりを言いますと、「あなたがたは先祖伝来のむなしい生活から贖われた」と言われ、それは「きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」と言われました。この主文章のキリストを受けて、その説明として分詞形で二つのことが記されます。一つは「天地創造に先立ってあらかじめ知られた方」である、その方の血によった贖いであったという表現であり、もう一つは「この終わりの時代にあなたがたのために現れた方」と言います。クリスマスとその後の主の御生涯、パレスチナでの主のお働きやその使命も含んで十字架にお架かりになった、その尊い血による贖いであったと言われます。
 はじめの表現に注意を向けてみましょう。キリストはあらかじめ知られた方、しかも天地創造以前、天地とあるのは「コスモス」と言う言葉で「世界」あるいは「宇宙」と訳してもよいでしょう。その創造の以前、ですから世界も万物も人類も、一人一人の人間も存在させられる前にキリストはあらかじめ、前もって知られていたと言います。主イエスのことはクリスマスの主の誕生の前にあらかじめ知られていたと言うのです。誰が知っていたのでしょうか。まだ人間も世界も創造される以前ですから、知っておられたと言えば、神以外にはおられません。神の御心の中にキリストのことがあった。「キリストの先在」と言われることがここに暗示されています。クリスマス以前に、さらには天地が造られる以前に、神の中にキリストはおられ、知られていました。ということは、キリストは神の永遠の中に御父から生まれ、そのキリストによって贖いの救いを遂行することが、神の御意志、神の御計画として創造以前にあったのだというのです。キリストが世の創造に先立って知られていたということは、主キリストはクリスマス以前に御子なる神として永遠に生まれ、世界創造以前におられ、神の救済を遂行するという神の偉大な意思決定、その御計画があったということです。キリストの尊い血を指差しながら聖書が語る創造に先立つキリストの証言は重大な意味をもっています。救いの神であろうとされる神の意志決定は、あらゆるものの創造に先立っていました。キリスト教信仰が証言する極めて重大な信仰がここにあります。主キリストの尊い血は、世界創造に先立つ神の御意志を示し、神の恵みによる救いの御計画を示します。神の救いの御計画が世界の全現実を支配しておられると分かります。
 「キリストは天地創造の前からあらかじめ知られていました」。この一文に、キリストによって世界を救済する神の大きな御計画、その神の御意志が示されています。創造に先立つ神の意志決定、その御計画があって、それに基づき主イエスのクリスマスの誕生とその後の生涯における働きが神の働きとしてなされたわけです。
 その主が現れたのは「あなたがたのため」であったと言われます。クリスマスも主の十字架もあなたがたのためでした。この「あなたがた」というのは誰のことでしょうか。手紙の宛先人は、「各地に離散し仮住まいをしている選ばれた人たち」、つまりその時代のすべてのキリスト者たちであり、神の民のことです。キリスト者として神の民に選ばれたのも創造に先立つ神の御計画の中のことです。救いの根拠は、創造に先立つ神の御計画の中にすでにあったことでした。
 選ばれた人たちは神を信じます。漠然たる神ではありません。大きな御計画を持って、すべてに先立ってイエス・キリストの尊い血による贖いの救いを決意され、その御計画のなかで救いに与るすべての者を選んでおられる神です。そしてイエス・キリストの十字架における尊い血の中で贖いの業を行なう神です。その神に選ばれた人々が神を信じます。ここにはさらに、その神はキリストを死者の中から復活させ、栄光をお与えになったと言われます。その神を信じているというのです。
 たった二節の言葉です。わずかな言葉による文章ですが、偉大な神を語っています。多くの人々は、世界と言い、宇宙と言えば、それ以上はない広大な世界と思っているでしょう。しかしそのすべてが神の御計画の大きなスケールの中に入れ込まれています。イエス・キリストとその御業、そしてそれをとおしての神の偉大な御意志と御計画の中で、世界の時代はその一コマにすぎません。神の偉大な御計画と主イエス・キリストの働きを記しているのは、ペトロの手紙だけではありません。エフェソの信徒への手紙にもありました。エフェソでは「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」(1・4)と言われています。
 聖書は論文を書いているわけではありません。素朴な信仰で聞くべき神の御業の証言を記しています。しかしこのように証言されている偉大なスケールの神の御業を素朴な信仰はしっかりと聞くのではないでしょうか。聞いて信じます。いや、自分一人では信じられないでしょう。けれども「キリストによって信じています」と言われます。キリストによって信じることで、信じられます。「キリストによって」とは、尊い血によってむなしい生活から贖い出してくださったキリスト、そして神により死者の中から復活させれ、栄光を与えられたキリストです。そのキリストによってわたしたちは信じます。栄光を与えられ、やがて栄光の内に来られるキリスト、しかもいますでに私たちに伴い現在しておられるキリスト、今共にいてくださるキリストによって私たちは神を信じています。宇宙万物を創造されるまえに、救いの御計画を主キリストにあって意志決定された神、その主キリストによる救いに与る人々を選ばれた神を信じます。主イエス・キリストの十字架によって贖いによる救いを果たされた神を信じます。そのキリストを復活させて、生ける者と死ねる者との主になさり、主キリストに栄光をお与えになった神を私たちは信じます。キリストによって信じます。キリストにあって働く生ける神にこそ、世界と人生の最も究極的な真理があります。
 それで今朝の段落の最後は「従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっている」と言われます。わたしたちの信仰と希望とは神にかかっている。つまり私たちは、神にかけた信仰を生き、神にかけた希望を生きます。それが救いに入れられているということでしょう。この信仰を持ち、この希望を生きることができるのは、幸せではないでしょか。
 人生の目的は何か、人生の幸福は何かと、ジュネーヴ教会信仰告白は問います。普段はあいまいにしているかもしれません。しかし自分の人生の目的、また人生の幸せは、時には改めて問う必要があるのではないでしょうか。その答えは、どちらも「神を知ることです」と答えます。人生の目的は、今朝の御言葉で言えば、神にかけた信仰を生きることではないでしょうか。人生の幸福とは何でしょうか。どんなときにも神に希望をかけて生きることがきることです。キリストによって神を信じ、キリストによって神に希望をかけることができることは、この上なく幸福なことであると知るべきでしょう。

 聖なる天の父、待降節の礼拝にあたり、主イエス・キリストが創造に先立ってすでに知られていたという御言葉の意味について思いを向けることができ、感謝いたします。私たちの目の前の世界の現実はまことに混乱の中にあり、生きるすべを失うような状態であります。しかし主イエスを信仰の目に仰いで、あなたの深きみ旨と堅固な救いの御意志を知り、また主の十字架の血潮にその実現があることを知って、感謝いたします。あなたを信じ、あなたに希望を置くことを私たちの人生の目標とし、またこの上ない幸せとして歩ませてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。