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銀座の鐘

羊飼いたちのクリスマス

説教集

更新日:2023年12月24日

2023年12月24日(日)待降節第4主日 銀座教会クリスマス家庭礼拝 牧師 髙橋 潤

ルカによる福音書2章8~20節

 主の年2023年クリスマス礼拝に導かれたことを感謝いたします。今年も神は私たちの羊飼いとして、一人一人を養い育て守ってくださいました。羊飼いが羊の姿を見つめながら、健康管理、交わりを見守り、時に羊の名を呼び共に歩くように、神は私たちを見守り、体だけでなく健やかな信仰生活を与えるために祈り、苦しみの時も不安な時も悲しみの時も喜びの時にも共にいて下さいました。必要な恵みを与えてくださったことを思い起こし感謝いたします。神の恵みに対して、私たちは名を呼ばれても聞こえなかったり、返事をしなかったり、群れを離れたり、迷える羊であったことを思い起こします。神は羊飼いが羊を守るように私たちを導いてくださいましたが、御心に従わなかったことを悔い改めたいと思います。そして、今、礼拝へと導かれて、神の御前に立っています。
 ルカによる福音書2章には、野宿して、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いの姿が記されています。聖書の時代、羊飼いの姿は人々がよく見て知っている光景であったと思いますが、羊飼いでなければ分からないことが少なくなかったことでしょう。羊飼いが野宿していることを知っていても、羊を守るためにどのようなことをしているのか、実際の野宿の経験は、羊飼いしか知らないことが多いと思います。羊の群れを守り、野宿することは羊飼いの大切な仕事でした。
 ある夜の羊飼いが経験した出来事です。羊飼いたちはいつものように野宿していました。夜通し番をしていた時のことです。闇夜に天使があらわれ、天使の声を聞いたのです。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
 「恐れるな」「大きな喜びを告げる」「あなたがたのために救い主がお生まれになった」との天使の声を聞きました。神はなぜ、羊飼いに救い主の誕生を知らせたのでしょうか。神が救い主の誕生という大きな喜びを伝える人として、羊飼いを選んだのです。羊飼いが立派だったからでしょうか。特別な羊飼いがいたのでしょうか。天使はエルサレムの神殿やローマ帝国の皇帝に主イエスの誕生を伝えたのではなく、名前も伝えられていない、ある地方の羊飼いに、イスラエルの神の民が何千年もの間、待望していた救い主の誕生の知らせを伝えました。
 天使の声を聞いた羊飼いの名前も、働きも聖書は記していません。羊飼いの功績によって選ばれたのではないようです。世界を大きく変える大切な出来事を「ある地方の羊飼い」に伝えたことの意味と神の意図を私たちはどのように受け止めたら良いのでしょうか。
 主の天使が羊飼いに救い主の誕生を告げた積極的な理由は、イスラエルの神の民が忘れかけていたアブラハム、イサク、ヤコブという創世記に登場する族長たちを思い出させるためであったと考えることができると思います。旧約聖書ではアブラハム、イサク、ヤコブだけでなく、モーセもダビデも羊飼いの経験をもつ者です。イスラエルにおいて最も尊敬されていたモーセやダビデ王を思い起こさせるためと受け止めることもできるでしょう。また、預言者ミカが羊飼いを「羊の群れを見張る塔」と呼び、エルサレムの王を指し示したことを思い起こすためだったと理解することもできるでしょう。
 「7 しかし、わたしは足の萎えた者を
   残りの民としていたわり
   遠く連れ去られた者を強い国とする。
   シオンの山で、今よりとこしえに
   主が彼らの上に王となられる。
  8 羊の群れを見張る塔よ、娘シオンの砦よ
   かつてあった主権が、娘エルサレムの王権が
   お前のもとに再び返って来る。」
ミカ書4章7~8節
 聖書において羊飼いは、良い評価もあれば悪い評価も記されています。しかし、旧約聖書において羊飼いは、疎外された人々というよりも、巨人ゴリアテを倒した勇敢な羊飼い少年ダビデを思い起こすのではないでしょうか。羊飼いこそ、夜通し羊の群れを守って、クリスマスの夜、目覚めて天使の声を聞いた人々です。闇夜の中で、私たちが寝てしまっているとき、私たちの代わりに最初に天使の声を聞いたのがクリスマスの羊飼いたちです。私たちの代表として天使の声を聞いたのが、ルカによる福音書 2 章に登場する主イエスを礼拝した羊飼いです。私たちは羊飼いの姿勢から学ばなければならない大切なことを受け取りたいと思います。
 旧約聖書、詩編 23 編には、「主は羊飼い」という言葉があります。イザヤ書 40 章では「主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。」と記され、やはり主は羊飼いであると語られ、羊の群れを養い、子羊を抱いてくださる姿が描かれています。旧約聖書は「主は羊飼い」と記し、この地上で羊を養い育てる主なる神を羊飼いにたとえて語っているのです。主は羊飼い、神の姿がこの地上において羊飼いにたとえられていることは大切なことです。
 新約聖書において羊飼いは、ヨハネによる福音書 10 章で「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。」
 羊飼いは羊を呼び、羊は羊飼いの声を聞き分けるという深い信頼関係があることが記されています。ヨハネによる福音書 10 章には「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」と主イエス自ら羊飼いであると語っています。
「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。」
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」と記されています。
 良い羊飼いは、羊を置き去りにすることはしません。良い羊飼いは自分の愛する羊を決して置き去りにすることなく、羊のために命を捨てると、主イエスはお語りになりました。主イエス・キリストこそ、羊飼いの羊飼いなのです。だからこそ、ルカによる福音書は、羊飼いの羊飼いである救い主がお生まれになったことを誰よりも一番に、この地方の羊飼いに告げ知らせたのではないでしょうか。
 クリスマスは、この地上に神の御子イエス・キリストがお生まれになったということは私たちのために命を捨ててまでも愛してくださる真の羊飼いが誕生したとの知らせなのです。主イエスのご降誕は、神が御自身の羊のために命を捨てる、真の羊飼いの誕生を伝えているのです。クリスマスの喜びはここにあります。脇見をして目の前の羊を見失って迷子になってしまう羊がいます。怖がりの羊がいます。食べものに執着する羊もいます。良い羊飼いである主イエスは、全ての羊をよく知っていて、その名を覚えていて、愛してくださっているのです。私たち一人一人を愛する羊として養い育て、命をかけて愛し抜いて下さるのです。ゆえに天使は「大きな喜びを告げる」と語ったのです。神は羊飼いの羊飼いである主イエス・キリストがお生まれになったクリスマスを最初に告げ知らせる相手に羊飼いを選んだのです。
 救い主を与えられた喜びを聞いた羊飼いたちは、天使の讃美を聞きます。「 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。14 「いと高きところには栄光、神にあれ、
  地には平和、御心に適う人にあれ。」

 クリスマスの神を賛美する言葉は、神の栄光を讃美します。栄光とは、羊のために命を捨てる力です。主イエスが命を捨ててまでも愛してくださった救いの力です。この力が栄光です。ヨハネによる福音書 17 章で主イエスが決別説教の後、十字架にお架かりになる前日に祈った主イエスの祈りが記されています。主イエスは真の羊飼いとして、栄光を与えてくださいと祈って十字架へ進みました。私たちの罪を赦し肉体の死を超えた新しい命を与える力、栄光が与えられました。この栄光は主イエスを死から引き上げた平和の神の力です。この栄光は永遠の命の約束の根拠です。
 クリスマスを迎えるということは、真の羊飼いである救い主に導かれて、神と共に生きることであり、死を超えて新しい命に生きる、永遠の命を与えてくださるお方に従うことです。私たちはこの世の誘惑から守られて、真の羊飼いの声を聞き分け、御言葉を命の糧として、養われるのです。
 世界を脅かす武器の力は本当の力ではありません。報道されている権力者が真の指導者ではありません。真の羊飼いは十字架上で祈っておられます。真の羊飼いは、復活のキリストとしてお姿を現してくださいます。十字架と復活の主の栄光に照らされて、主の年2024年を迎えましょう。