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銀座の鐘

「神様にゆるされているから」

説教集

更新日:2024年11月16日

2024年11月17日(日)聖霊降臨後第26主日 銀座教会・新島教会 子ども祝福・家族礼拝(家庭礼拝) 伝道師 山森 風花

マタイによる福音書 18章21~35節

 今朝は子ども祝福・家族礼拝として、小さなお友達も大人の人も皆で一緒に礼拝をささげる、とっても嬉しい日です。この嬉しい子ども祝福・家族礼拝の日に、皆で一緒に読んでいる聖書のお話は、イエス様のお弟子さんであるペトロさんが、イエス様にある質問をしたことから始まっています。
 ペトロさんはイエス様に「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」と質問しました。つまり、ペトロさんは「イエス様、私に対して何か悪いこと、いじわるなこと、私を傷つけたり、悲しませたりする人がいたとしたら、私はその人のことを何回までゆるせばいいですか?七回までですか?」と聞いたのでした。
 皆はこのペトロさんのお言葉を聞いてどう思うでしょうか。きっと、「ペトロさんってすごい。七回もゆるしてあげようとするなんて、優しい人なんだなぁ」って思う人もいるかもしれませんね。実際、七回という回数は、ペトロさんたちが生きていた時代のユダヤ教の人たちの教えと比べても優れたものでした。なぜなら当時ユダヤ教では、誰かが自分に対して罪を犯したのなら三回までは赦してあげなさい、と教えられていたからです。でも、ペトロさんが言った回数は七回ですから、当時教えられていた回数と比べて四回も多いわけです。もしかしたら、ペトロさんは三回ゆるしてあげれば良いと教えられているところを、七回と言ったんだから、イエス様にほめてもらえると思ったかも知れません。
 でも、イエス様はペトロさんの質問に対して、とんでもないお答えを返されたのでした。なぜならイエス様はペトロさんにこう言ったからです。
「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」と。
七の七十倍って言われても、ちょっと想像がつかないお友達もいるかもしれませんね。七の七十倍を計算してみると、四百九十回という回数になります。四百九十回、とんでもない数です。「えぇ!そんなに数えられないよ!」と皆はきっと思ったんじゃないでしょうか。そうなんです、それは正しい感想です。
 つまり、イエス様がペトロさんにおっしゃったのは、何回までとか、そんなふうに回数を決めて、この回数までゆるせばもうゆるさなくてもいいとか、そういうことではないよってことなんです。そうではなくて、何度だって、何十回何百回だって、ゆるしてあげなさいって、イエス様はペトロさんにお教えになっているのです。
 このペトロさんの質問に対しての、イエス様へのお答えを聞いて皆はどう思うでしょうか。もしかすると、「なんでそんなにゆるしてあげなきゃいけないんだ、相手が僕に、私に対して、悪いことをしてきたのに。おかしいじゃないか」って思う人もいるんじゃないでしょうか。自分に悪いことをして来た相手に対して、怒ったり、仕返しをするということを、私たちはやっても当然だと思ってしまうことがあります。もしかすると、ペトロさんも七回まではゆるしてあげるけど、八回目はもうゆるさない、怒って仕返ししてやる、と思っていたかも知れません。
 しかし、そんなふうに考えてしまうペトロさんや私たちに対して、イエス様は今日、あるたとえ話をお話ししてくれています。まず、23-25 節をお読みします。

23 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
24 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。
25 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。

 今お読みしたように、このたとえ話には登場人物として、ある王様と、王様に対して借金、つまり王様からお金を借りている一人の家来が出てきます。この家来が王様に対して借りていたお金の額は、一万タラントンでした。一万タラントンって一体いくらなのかというと、現在のお金で約六千億円くらいです。ちょっと想像することもできないほどの金額のお金ですね。ちなみに、もし一万タラントンを返すために、この家来が一日も休まずに働いたとしても、全部返し終えるには十六万年以上かかるそうです。つまり、何が言いたいかというと、この家来が王様に対して借りているお金、借金を返すのは絶対に不可能だということです。
 このように、この家来が王様に一万タラントン返せないのは誰の目から見ても明らかでした。家来がお金を返せないと言うことは、王様が沢山のお金を失うということです。また、さらにそれは、家来が王様を傷つけること、王様の信頼を裏切ることでもあったと言うことができるでしょう。ですから、王様が怒ってこの家来に対して、家来自身だけではなく、家族や家来が持っているすべての持ち物を売り払って、少しでも自分にお金を返すように求めたとしてもそれは何もおかしな事ではなかったはずです。しかし、このイエス様のたとえ話は、とってもびっくりな方向へと話が進んでいくのです。それは 26-27節にこう書かれている通りです。

26 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。
27 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。

 絶対に返すことのできない額の借金、一万タラントンを返すから待って欲しい、きっと全部お返ししますから、と何度も何度も王様にお願いする家来の姿を見て、皆はどう思うでしょうか。「絶対返せないのに、この家来は嘘をついている」と思う人もいるかもしれません。莫大な借金をして王様に沢山損をさせ、さらには嘘までつくこの家来に対して、王様は「ふざけるな」と怒って、さっさと罰を下しても良かったはずです。
 しかし、王様は怒ったのではなく、むしろその家来を憐れに思った、というのです。そして、驚くべき事に、この家来をゆるして、一万タラントン、約六千億円もの借金を帳消しに、つまり、一円も返さなくて良いと家来に言ってあげたのでした。
 皆はきっと、こんな王様、こんな人いるわけないって思うことだと思います。だけどこの王様のように、王様にとんでもない借金をして、お金を返すこともできず、王様を傷つけた家来を憐れみ、沢山の借金を帳消しにしてくださるお方がいるんです。では、そのお方とは、一体だれなのかというと、それは天の父なる神様です。
 このたとえ話の王様は、天の父なる神様のことを指しています。そして、この一万タラントンというとんでもない、絶対に返すことのできない借金は、天の父なる神様に対する私たちの罪を意味しています。そして、一万タラントンの借金を帳消しに、つまり、神様に対する罪をゆるしてもらった家来とは、私たち一人一人のことなのです。
 ですから、イエス様はこのたとえ話を通して、ペトロさんや私たちに、あなたたちは天の父なる神様に対してどれだけ努力しても、絶対に返せない、ゆるしてもらうことなど本来なら到底できない罪をゆるしてもらっている一人一人であることを伝えてくださっているのです。
 また、王様が家来にしてくださったあの驚くべき借金の帳消し、つまり、天の父なる神様が私たちに対してしてくださった罪の赦しというのは、ただ神様の愛と憐れみとして私たちに与えられたということも、イエス様はこのたとえ話を通して私たちに教えてくださっているのです。
 このように、本当だったら帳消しにしてもらうこと、赦してもらうことなんてできなかったはずなのに、それなのに、神様は、私たちを愛してくださって、私たちのことを憐れんでくださって、それゆえに、罪ゆるされた一人一人として、神様に愛されている子として今、生きることができるのです。だからこそ、ペトロさんや私たちに対して、イエス様は、神様によって罪ゆるされた一人一人として、あなたたちも、あなたたちに罪を犯す人、悪いことや、ひどいことをした人を何回でもゆるしてあげなさいとおっしゃったのです。
 また、今日、私たちはこのたとえ話をペトロさんに、また私たちに語ってくださったのが、イエス様であったということに注目したいと思います。なぜなら、私たちが本当なら赦してもらうことなどできなかったはずの大きな罪を赦してもらえたのは、罪のないイエス様が私たちの代わりに十字架におかかりになってくださったゆえだからです。天の父なる神様が私たちの罪を赦すために、愛すべき神様の独り子イエス様を私たちのためにクリスマスの日に、私たちのもとへと送ってくださり、ただイエス様の十字架によって私たちの罪をゆるしてくださったことを皆で今日、改めて覚えたいと思います。
 このように、私たちは神様の愛と深い憐れみによってのみ、ゆるされていることを感謝しつつ、私たちも神様にゆるされた一人一人として、私たちに対して罪を犯す人たちを憐れみ、ゆるせることができる、そのような一人一人になることができますようにと、神様に祈りながら、神様に愛された神様の子、光の子として今日から始まる一週間を歩んで行きたいと願います。お祈りをお捧げいたします。