「こう祈りなさい」
説教集
更新日:2024年10月19日
2024年10月20日(日)聖霊降臨後第22主日銀座教会・新島教会 信徒伝道週間 家庭礼拝 牧師 髙橋 潤
マタイによる福音書6章9~15節
9 だから、こう祈りなさい。
『天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。
10 御国が来ますように。
御心が行われますように、
天におけるように地の上にも。
11 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
12 わたしたちの負い目を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を
赦しましたように。
13 わたしたちを誘惑に遭わせず、
悪い者から救ってください。』
14 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。15 しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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本日は糸魚川真悟兄の奨励に代えて、新島教会訪問記を記すこととします。
今年の6月は記録的な猛暑が続きました。6月14日の猛暑の午後、新島教会小橋孝一牧師からこれから銀座教会に行くのでよろしくと電話がありました。到着予定時刻を過ぎても来られません。心配していると、携帯電話から声が聞こえ、銀座教会に近くないところにいることが分かりました。猛暑の中、相当な時間迷いながら歩いていることが分かりました。有楽町駅で待つようにお願いし、何とか銀座教会にお連れすることが出来ました。銀座教会の応接室にて、汗を拭き、麦茶を二杯飲み干した小橋牧師は、銀座教会には来れなかったが、今でも新島教会には一人で行けると自慢しておられました。
その後、説教が出来なくなったために新島教会の牧師を辞めることにしたこと、後任を探したが見つからないので姉妹教会として兼務をしてほしいとのお話しでした。7月の役員会まで、祈る時間をいただき、6月の役員会にて銀座教会牧師として新島教会の牧師を兼務することは出来ないが代務者として責任を負うことは必要だとの考えを伝え、7月に決議したいと説明しました。7月28日銀座教会役員会にて全員賛成で代務者を引き受けることと決定しました。代務者であっても牧師の交代として、東支区、東京教区、日本基督教団へ役員会議事録など必要書類を整え申請しました。それぞれの議長の承認と同意を得るためです。新島教会は宗教法人の教会ですので、「代表役員変更登記」のための必要書類を整え、教団議長の同意を得てから2週間以内に東京法務局に申請手続きを済ませなければなりませんでした。教団議長の同意が9月13日付で期日内に登記のための申請書類を整え東京法務局へ書類を提出しました。
銀座教会にとっても新島教会の教会員にとっても牧師の辞任とその後のことは、見通しがつかないことが少なくなく不安になります。新島教会の役員は2名、飯塚政枝姉と森晶子姉です。森姉と何度も電話で報告連絡相談をし、今後のことを一つ一つ決めて行きました。
これまで新島教会には小橋牧師が毎月1回、土曜日に新島に渡り、週報を配布し、民宿に宿泊して日曜日の礼拝奉仕をして、横浜市の自宅に帰るという生活だったので、今後も毎月1回どの日曜日でも良いので、牧師を送ってほしい、その時に聖餐式を行ってほしい、他の主日は自分たちで礼拝を守るという要望と計画を聞きました。
まずは、7月の説教者として7日(日)に銀座教会の前任牧師で今年3月末安藤記念教会を辞任された長山信夫牧師に新島教会の礼拝奉仕をお願いし、快諾していただきました。7月 7 日は長山信夫先生夫妻が奉仕してくださいました。8月は森姉より観光シーズンのため往復が困難とのことでお休みにしましょうとの申し出に甘え牧師を送りませんでした。9月は代務者として私が行きたいと考えていたので、銀座教会協力牧師の近藤勝彦先生が礼拝奉仕の主日に新島教会に行く計画を立てました。交通手段は、調布飛行場から飛行機で往復することにしました。9月15日(日)の朝、調布から一便で新島に飛び、飛行場までもう一人の役員である飯塚政枝姉が車で迎えに来てくださいました。主日の朝、銀座教会ではなく新島にいる新鮮さを感じる間もなく、到着後新島教会の礼拝準備を確認し、7名で神さまと共に聖餐礼拝をささげました。当日の礼拝者は 4 名の教会員と今年の 4 月より新島中学校の副校長として単身赴任して出席されているキリスト者である客員の方と私たち夫婦の7名でした。
礼拝においては、マタイによる福音書6章より、主イエスが「こう祈りなさい」と教えてくださった主の祈りについての御言葉にお聞きしました。
礼拝後、愛餐会が行われ、おいしいお弁当をいただきました。教会員の前田道子姉が新島で一番高価でおいしい「赤いか」を新島ガラスの大皿でふるまってくださいました。デザートには森晶子姉手作りプリンはじめお菓子などでもてなしていただきました。新島教会では例年 4 月に行っていた定例教会総会が今年は行われていなかったため、2024 年度教会総会を行いました。事前に準備した総会資料に確認した事や会計の数字を入れて、監査報告書も整えることができました。総会後、役員会を行い、今後のことについて打ち合わせ話し合うことが出来ました。主日は夕刻になり、礼拝堂の 2 階や牧師館の中の見学や今後の課題など、大切なお話しをしました。その後、民宿に行く前に、森姉が羽伏浦海岸を案内してくださいました。森姉は親戚の葬儀のために孤軍奮闘しておられる中、私たちのために時間を割いてくださり、帰りの飛行場に送ってくれる前に、歩きでは行けない、展望台や石切山、若郷も案内して下さいました。
7 月に代務者を引き受けてから、真っ先に西千葉教会真壁巌牧師に電話しました。真壁巌牧師は私と神学校の同級生で最も信頼できる牧師の一人です。西千葉教会は新島教会と同じ宣教団体による伝道ではじまった同じ信仰のルーツを持つ教会として、以前より新島教会を支援している教会です。同時に「あしの会」(教務教師の有志伝道の会)の北川善也牧師に協力をお願いしました。北川牧師は明治学院の学院牧師として平日は忙しく働き、日曜日は全国の教会の要望に応えて、手弁当で礼拝説教奉仕をしておられます。新島教会の協力をお願いすると 11 月 24 日新島教会の聖餐礼拝の奉仕をしてくださることを快諾くださいました。10 月から来年 3 月までの年度内、毎月派遣される伝道者がほぼ決まりました。これらのご理解と祈りと協力によって、今後の伝道牧会の計画が立てられています。
新島教会の歴史を紹介します。新島教会は 1895 年(明治 28 年)スカンジナビアン・アライアンスミッションのアンナ・セットランド宜教師が新島に漂着し、民家の土蔵を借りて伝道を開始しました。その後、数人の伝道者が断続的に新島を訪れて伝道しました。 1911年(明治 44 年)3 月 22 日に関口為吉牧師が来島し、新島での初めての定住牧師となり「日本同盟基督 新島教会」を設立。1925 年(大正 14 年)青年信徒であった飯塚周蔵氏が教会を盛んにし、1941 年日本基督教団加盟後、伝道師になりました。1964 年(昭和)39 年)東支区の伝道委員会の斡旋により銀座教会と姉妹教会の関係を締結しました。今年は、姉妹教会締結 60 年の節目を迎える年であることに気付かされました。
1968 年島の中央高台に白亜の会堂(現会堂)が完成し、1968 年献堂式が行われました。1974 年 12 月飯塚先生が召天。1977 年牧野清子牧師、その後、竹井眞人牧師など数名が牧会し、2009 年(平成 21 年)9 月から小橋孝一牧師が週末に横浜から新島へ通う形で牧会され、2024 年 6 月辞任と共に教師を隠退されました。
新島教会と銀座教会の姉妹教会締結については、「銀座教会 90 年史」に詳しく記されています。飯塚先生は補教師として伝道の傍ら、新島観光協会の初代会長も兼ねる島の指導者でした。銀座教会の井戸兼一伝道委員長と天井鞠恵委員が問安使として新島に出かけ、飯塚先生はじめ教会員の方々と信仰の交わりを深め、力を得た新島教会の方々は会堂建設を具体化しました。銀座教会の宮副紘一兄、和田惇彦兄たちが中心となって東京キリスト者ワークキャンプの方々の協力によって白亜の会堂が完成しました。現在の飯塚政枝役員は飯塚周蔵先生の息子と結婚され、現在に至るまで新島教会に仕え続けています。
今回の新島教会訪問に際して、私の机の奥から「新島一周」という絵はがき集を持参しました。この絵はがき集は 1972 年頃、私の母教会の青年夏期キャンプで新島に行ったときに購入した物です。飯塚姉はこの「新島一周」を見るやいなや、義理の父が撮影し作成した写真の絵はがきであると説明してくれました。大変懐かしいと見つめていました。半世紀以上前の古ぼけた絵はがき集ですが、なぜか大切にしていた絵はがきの作成者が新島教会の伝道者であったことを知り、不思議な神さまのご計画を感じました。
新島教会は牧師館と住宅、この二つの建物を管理しています。教会に隣接している平屋の 5LDK の建物と車で 5 分くらいの所にある 4LDK の住宅です。隣接している牧師館は、建物としては簡単な掃除をすれば、多少の補修が必要かもしれませんが十分生活することができる建物です。もう一つの教会管理の建物は平屋で車が四台くらいはいる広い庭が付いている敷地の建物です。ここには、かつて新島教会員だった夫婦の所有物の大型カヌーなどが足の踏み場がないほど押し込まれていました。こちらの建物の土地は新島村から借りている借地ですが、固定資産税を支払いながら維持しています。
新島教会は毎週午前 10 時から主日礼拝を守っています。たとえ 1 人であっても礼拝をささげています。主イエスが共にいてくださるので 1 人ではないのです。役員の方が今日は1 人かなと思う日でも、島に来られたお客さんがふらっと礼拝に来られることが少なくないとお話しくださいました。
6 月までは説教者がいない主日は小橋牧師の説教テープを聴いて礼拝を守って来ました。7 月以降は、銀座教会の「家庭礼拝のしおり」を用いて、説教者がいない日でも礼拝をささげておられます。
姉妹教会として、これまでも毎月献金を献げてきましたが、今後も献金協力を続け、お互いに祈り合う交わりを深めたいと願っています。
今回の私たちの新島訪問は主日の翌日、16 日が祝日で飛行機の切符がとれなかったこともあり、新島村本村を一日歩いて過ごしました。午後には、水着で入浴する湯の浜温泉という露天風呂につかり絶景を見ながら、113 年前、新島に漂流して福音を伝えたアンナ・セットランド宣教師はどのような思いで伝道をしたのだろうか、空白の時期はあっても信仰者が絶えることなく続いていることに聖霊の助け意外になし得ない新島教会の歴史をもっと知りたくなりました。
「赤いか」の他、しま鮨、くさや、牛乳煎餅、森さん手作りのプリン、クッキー、カップケーキ、身も心も満たされた新島での 2 日半でした。森さんのお土産は、新鮮な内にと火曜日の入門講座の皆さんで分けました。次の機会にはぜひ、数名で出かけたいと思いました。行くことのできない方も、写真などで心を一つにして一緒にお祈りしましょう。