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銀座の鐘

「主イエスとシメオン」

説教集

更新日:2025年01月04日

2025年1月5日(日)降誕節第2主日・新年礼拝 銀座教会・新島教会 家庭礼拝 牧師 髙橋 潤

ルカによる福音書2章22~35節

 主の年2025年、共に新年礼拝を献げる主の導きに感謝いたします。
 本日の御言葉は救い主の誕生から40日が過ぎた時の出来事です。モーセの律法によって定めの期間が過ぎ、主イエスの父と母は主イエスを抱いてエルサレム神殿に行きました。神殿に行く第一の目的は母マリアの清めのためです。旧約聖書レビ記12章に記されているように出産後40日間は、子を産んだ母親の汚れの期間とされていました。この期間を経て神殿において犠牲を献げ、汚れを清められるとされていました。この定めの背景には、産後の女性を休ませなければならないという母体を守る配慮があったと伝えられています。マリアとヨセフが神殿に出かけたもう一つの理由は出エジプト記13章に記されている「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」ためです。初めて生まれた男子である主イエスは、神殿において主に献げられ、聖別の儀式を受けたのです。このようにヨセフとマリアは、忠実に律法に従って長男を献げ、伝統的な儀式を行ったのです。この伝統的な儀式は、出エジプトの出来事に由来しています。出エジプトの時、小羊の血が戸口に塗られ、その印によって、イスラエルの初子が救われました。この出来事から、長男は神のものであるという理解が生まれ、長男が献げられることによって、次男三男そして家族全体が神の恵みと祝福を受けることができました。長男をささげた後、代価を支払って買い戻す儀式が行われます。そして、家族の祝福の源として長男の奉献と買い戻す儀式が行われました。
 日本の風習、お宮参りは土地の守護神に赤ちゃんが無事誕生した事を報告し、健やかな成長を祈願し神社で参拝します。キリスト者は土地の氏神を神としているのではありません。父子聖霊なる神を信じますから、お宮参りではなく教会でお祈りすることが大切です。私たちの教会では、ご家族の希望によって「新生児誕生の祈り」をささげます。教会ではユダヤの伝統のように長男だけに限定することはしません。男子も女子も二人目も三人目も皆、神の祝福を受けることが出来ます。
 旧約聖書の伝統を継承するシメオンとアンナが登場します。アンナは84才、シメオンの年令は記されていませんが、救い主に会うまでは死なないという言葉から、ご高齢であったと想像されています。シメオンとアンナはヨセフとマリアが主イエスを抱いている姿を見て、そのそばに近寄り、主イエスを抱いて、本日の御言葉であるシメオンの賛歌を歌いました。シメオンについて大事なことは、27節の「霊に導かれて」いたということです。聖霊に導かれていたがゆえ、シメオンはこの幼子こそメシア(救い主)であると救い主を見分けることが出来ました。シメオン自身の眼力や能力ではなく、聖霊なる神の導きによって、救い主を知り、喜ぶことができました。信仰の確信が与えられました。この信仰の確信からシメオンの賛歌が生まれました。
ルカによる福音書は、エルサレム神殿での主イエスの奉献を通して、ヨセフとマリアが忠実に律法に従っている姿を伝えています。そしてシメオンの人となりとしても、「正しい人」「信仰があつく」と紹介されて、当然ですが彼らも律法に忠実であることがここでも強調されています。このことは実は福音書において大変大切なことなのです。
 エルサレム神殿において主イエスが伝統的な儀式を受けたことによって、主イエスは旧約聖書の伝統を正式に継承し受け継いでいることが明らかにされました。旧約聖書の伝統を重んじるユダヤ教の人々に対して主イエスこそ旧約聖書の伝統を正式に継承していることを明らかにしているのです。最も大切なことは、預言者アンナとシメオンが聖霊によって、主イエスこそ「救い主、メシア」である事を理解する正統な信仰が与えられている事実です。更には、当時この二人以外に、イスラエルの慰められるのを待ち望む信仰者がいなかったという信仰の危機的現実を教えているのです。この時代が信仰の危機であったということです。シメオンとアンナに光が当てられ、旧約聖書からの正しい伝統を継承する者、救い主を見分ける信仰者がここにたった二人ですが、残されていたのです。
 この御言葉は、当時のユダヤ社会に対する、痛烈な批判として聞かれなければなりません。この二人以外の大祭司や祭司長など、神殿の支配者たちが大勢いたのです。しかし彼らの中の誰一人として真の救い主を見分けることが出来なかったという批判です。旧約聖書の伝統を継承しているシメオンとアンナだけが、主イエスこそ私たちの救い主なのだと宣言しているのです。
 この声をルカによる福音書は私たちに届けています。神の霊の導きによって旧約聖書の伝統を継承したシメオンの賛歌によって、正しい信仰が継承されるのです。ヘロデ王はじめ、ユダヤの指導者たちが旧約聖書の正しい継承者ではないということです。シメオンとアンナが守り続けた信仰は聖霊によって与えられているのです。
 旧約聖書の律法に忠実であるならば、終末において遣わされる救い主メシアを待望しているはずです。ペルシャの王キュロスですらメシアと見なした危うい時代が続きました。メシア待望が形骸化していました。今や誰が真の救い主であるか、見分けることに関心もなくなっていた時代です。そのような信仰の危機の中で、真の救い主を見分ける奇跡的な出来事としてのシメオンと主イエスの姿こそ、私たちに喜びであり、慰めであると告げ知らされているのです。
 律法に従って主イエスが神殿に献げられたとき、シメオンとアンナは待望していた救い主、キリストに出会い、シメオンは霊に満たされ、主イエスの将来について預言します。
 この出来事は、女預言者アンナとシメオンによって旧約の預言者のあるべき姿が印象深く示されています。律法を遵守する姿を通して、イスラエルの遺産である律法と預言とがここに生きていることに光が当てられています。真の「律法と預言」は、神殿の中庭に主イエスが奉献されていることによって明らかにされ、シメオンの賛歌は、預言者イザヤの言葉によって歌われました。
 「慰めよ、わたしの民を慰めよと
      あなたたちの神は言われる。
      2 エルサレムの心に語りかけ
      彼女に呼びかけよ
      苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
      罪のすべてに倍する報いを
           主の御手から受けた、と。」
イザヤ書40章1節
「12 主はこう言われる。
見よ、わたしは彼女に向けよう
平和を大河のように
国々の栄えを洪水の流れのように。
あなたたちは乳房に養われ
抱いて運ばれ、膝の上であやされる。
13 母がその子を慰めるように
わたしはあなたたちを慰める。
エルサレムであなたたちは慰めを受ける。」
イザヤ書66章12-13節
   
 シメオンの賛歌はイスラエルの慰めは、異邦人への啓示であると声高らかに讃美します。神の真の救いが、ここで初めて正しく讃美されます。神の御名が讃美されるということは、驚くべきことにユダヤ人に限定されることなく、真の救いはユダヤ人から普く広がると歌われています。東方の学者たちがそうであったように異邦人への啓示の光が輝いています。
 シメオンは、主イエスを通して異邦人にもたらす救いを見ました。それだけでなく、主イエスを拒否する人々がいることをすでに見通しています。主イエスを十字架につけよと叫ぶ群衆の姿も見通されています。シメオンの第二の言葉は、母マリアにあてたものです。「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」とあります。この剣とは、神の言葉を本当に信じることを意味しています。神を信じる信仰によって主イエスの真の家族となることです。神の家族とは血縁によるのではなく、神の救いを見つめ、神の言葉を受け入れることによって、真の家族になると語られているのです。
 ルカによる福音書8章21節「するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになった。」
私たちは、シメオンの賛歌によって、神の家族の一人とされていることを知らされています。真の救い主を大胆に誉め讃え、主イエスの真の家族に加えられた喜びの知らせを聞いているのです。シメオンの賛歌を賛美することは、私たちが神の家族の一人として、神に迎えられている喜びを喜ぶことなのです。私たちは神の家族とされているのです。
今なお地球上にはクリスマスを祝うこと、クリスマスの賛美を自由にすることが困難な国と地域があります。しかし、主の御言葉を信じる事によって、神の家族である事を感謝し喜ぶ事が出来るのです。
 私たちは、現在、最も世俗化した時代に生かされています。これまでのどんな時代よりも救い主が誰であるのか見分ける事が難しい時代に生きています。何も分からないまま、手探りで生きることを求められています。現代は、真の救い主を見分ける事が出来ない時代、救い主を見失う、信仰の危機の時代ではないでしょうか。
このような時代のただ中でこそ、シメオンの賛歌を聞き、共に賛美する事は、シメオンが主イエスを抱いて賛美した姿によって、真実の慰めに招かれているのです。
主日ごとに礼拝をささげ祈り、私たちの救い主こそ、主イエス・キリストであるとの信仰の目を大切にしたいと願います。教会において神の家族として、聖書を共に読み、救い主を抱いて喜ぶシメオンを心に刻みつつ新しい2025年を歩み出す時、声高らかに、シメオンと共に賛美を献げ、礼拝を献げる新しい年を感謝しましょう

 祈りましょう。天の父なる神さま、主イエスを抱きつつ、救い主を賛美するシメオンの姿を通して、あなたが異邦人である私たちのために救い主をお遣わしくださり、あなたの家族としてくださること、この大きな恵みを感謝します。教会の交わりを通して、声高らかにあなたの御名を賛美する群れとしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン