「神の言葉によって踏み出す」
説教集
更新日:2020年06月30日
2020 年 5 月 31 日(日)ペンテコステ(聖霊降臨日) 主日家庭礼拝 藤田健太 伝道師
使徒言行録2章1~4節
1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 2 突然、激しい風が吹 いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 3 そして、炎の ような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 4 すると、一同は聖霊 に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
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4 月 12 日、日曜日の朝、私たちの教会は一つの決断をしました。教会でお捧げする 主日礼拝を家庭礼拝に切り替え、ウイルス感染のリスクを最小限におさえつつ、プロ グラムやオンラインによる配信を通じて礼拝を守り続ける決断でした。礼拝を新たな 仕方で守り続ける私たちの決意は、主のご復活をお祝いするイースターの日から始ま りました。復活の主に向かって新たな礼拝をお捧げしようという弟子たちの決意も、 イースターの日から始まりました。「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサ レムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」。ルカによる福音書 24 章 50 節以下は、復活の主と出会って変えられた弟子たちの様子をそう伝えます。 主の復活の日から 50 日が経ちました。弟子たちは「五旬祭」の朝を迎えます。あの決 断の日から 50 日を経て、私たちもまた、ペンテコステの朝を迎えました。復活の主に 向かってひれ伏し、新たな礼拝を捧げ始めた弟子たちに応え、神様はその日、聖霊に よる御力を注いでくださいました。家庭礼拝への移行から 50 日を経た今日、私たちも また、新しい礼拝をお捧げしてゆくための力を、神さまからいただきたいと思います。
―「五旬祭」の古い起源は、麦の刈り入れを祝う収獲の祭りであったと言われます。 初代のユダヤ教の伝統において、シナイ山での律法授与の出来事がそこに結びつきま した。生きるすべを知らなかった民たちに、律法に従って生きる道が示されました。 危機の中にある民たちの上に、生活の規範となる神様の言葉が与えられました。その 出来事を感謝する祝いが「五旬祭」であると理解されるようになりました。神さまは 民を救うために下ってきてくださいました。契約を結び、神と人との関係を推し進め てくださいました。人間が生きるための指針を与えてくださいました。それらすべて の出来事の“しるし”として、シナイの山は激しく揺れ、神の火があたり一面を包ん だことが、出エジプト記 19 章以下に語られます。ペンテコステの出来事は、かつて、 シナイの山の上に生じた出来事を彷彿とさせます。激しい風の大音声によって家全体 が激しく揺れました。神の火が分かれ分かれに現れ、その場の一人ひとりの上に留ま りました。一同は聖霊によって満たされ、霊が語らせるままに、「ほかの国々の言葉」 で話し出しました。かつて「石の板」の上に言葉が与えられたように、人々の口の上 に言葉が与えられました。シナイの山で結ばれた古い契約が、更新された瞬間でした。 復活の主に向かってひれ伏し、今後の新たな導きを求めた信仰者たちのうえに、聖霊 が注がれ、信仰者一人ひとりが、生きるための新たな言葉を獲得したのです。
「ほかの国々の言葉」というのは、原文ではもっと単純に「異なる言葉」と書かれ ます。「異なる言葉」というのは、「ほかの国々の言葉」と理解することも確かにで きます。巡礼にやって来た各地のユダヤ人たちが、それぞれの故郷の言葉を思い思い にそこに聞いたという以下のエピソードが示している通りです。同時に「異なる言葉」 には、「ほかの国々の言葉」以上の含蓄があります。それは、人間の力では決して語 り出されることのない言葉です。聖霊の御力によって始めて語ることが可能となる言 葉です。復活の主にひれ伏し、今後の新たな展望を願い求めた民たちに応え、神様が 新たに与えてくださった言葉です。言うなれば、それは「新しい言葉」です。「復活 の主を信じ、新しい生命を生き始めた者たちの言葉」です。ペンテコステの日に与え られた「新しい言葉」をたずさえて、使徒たちは続々と、宣教の旅へと出かけてゆき ました。その日以来、使徒たちの上に留まりつづける御霊が、新たな命の局面を切り 開かせるような、大胆な神の言葉を、彼らに語らせました。ペトロが、ステファノが、 パウロが、そのような神の言葉を語りました。
神様の言葉は、危機的な状況に置かれた人々の間で、もっとも鮮やかに力を発揮し ました。行き詰った危機的な状況に希望を与え、新たな命の局面を切り開きました。 ペンテコステの出来事を目撃した人達の中に、「彼らは酒に酔っているのだ」と嘲る 人たちがいました。礼拝は誤解され、神様と人々の関係が危機に陥りました。「礼拝 の危機」です。このような危機に瀕した時、ペトロを通して神様の言葉が語られまし た。ペトロは旧訳聖書ヨエル書を引用しながら、ペンテコステが神様の約束にもとづ く正当な出来事であることを力強く証しました。殉教者ステファノの最期は悲しみに 満ちたものでした。同時にそれは慰めに満ちた最期でもありました。ステファノが陥 ったのは「生命の危機」です。危機に瀕したステファノを通して、イスラエルの歴史 全体を貫く神様の愛が語られました。ステファノは「聖霊に満たされ、天を見つめ、 神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ていた」とあります。聖霊の御守り は、一時もステファノから離れることがありませんでした。ステファノの石打刑に賛 同したパウロは、無実の人を死に至らしめる罪の同調者となりました。パウロが陥っ たのは「人間性の危機」です。人間性を失ったパウロが、神様の言葉に赦され、神様 の言葉に癒されました。そうして新たな命を生き始めました。地中海世界を行き巡る、 キリストの偉大な使徒に生まれ変わったのです。
ペンテコステの日、神さまから注がれた霊は、そこに集まる一人ひとりの上に留ま りました。そして、それぞれの生涯の中で、それぞれの状況の中で、危機を打開する ため、神様の栄光を表わすため、豊かに語り出しました。神さまの言葉は、それぞれ の危機の状況の中で語られました。その神様の言葉が、キリストを証し、キリストの 教会を拡大し、今日の教会を打ち建ててきました。
ペンテコステの日、使徒たちの上に注がれた霊は、私たちの上にも与えられていま す。私たちの上には、生ける神様の霊による導きがあります。私たちは神様の霊に導 かれ、私たちの時代の危機のなかで神様の言葉を語ります。そうして、神様の栄光を 表わします。コロナウイルスの禍中にあって、私たちは新しい生命の希望のなかを歩 み出したいと願います。
【祈祷】
天の父なる神様、ペンテコステの礼拝の時を感謝いたします。復活の主に向 かってひれ伏し、新たな礼拝の時を待ち望む私たちの上に、あなたは御霊による導き を与えてくださいます。私たちは一人ではありません。私たちの上にいつも留まって いる御霊の導きを思わせて下さい。不安の中で黙することしかできない時こそ、あな たは私たちの口に新しい命の言葉を授けて下さいます。危機のなかにある私たちは、 あなたを力強く称えることができます。この礼拝から始まる 1 週間、御霊の導きを信 頼して歩むことができますように。新しい年度の教会の歩みも、御霊の導きのうちに 進めることができますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン