「世に与えられた光」
説教集
更新日:2020年11月29日
2020年11月29日 待降節第1主日 主日家庭礼拝 主日夕礼拝 伝道師 藤田 由香里
ヨハネによる福音書1章1〜5節
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 2 この言は、初めに神 と共にあった。 3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは 何一つなかった。 4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 5 光は暗闇の 中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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待降節第1主日をお迎えしました。今年は多くの方々がそれぞれの仕方で「忍耐して待つ」ということを自粛生活の中で経験されていると思います。
本日の聖書は、ヨハネ福音書の冒頭です。御子イエス・キリストは全てのものが創られる前から父なる神のもとにおられたというところです。ここで、主イエスは「言(ことば)」と呼ばれます。神の言葉です。そして、その言葉の内には命がありました。この命は人間を照らす光です。
この聖書箇所にはあらゆる被造物が創られる前の静謐な空気が感じられます。創造主なる神様がおられる聖なる厳粛さがあります。ここでは、「光と闇」の対比がなされます。
「光と闇」を描く画家としてジョルジュ・ラトゥールがおりました。銀座教会の1階エレベーター前に模型が飾られています。私もこのラトゥールの絵画を大学生の時に上野で観ました。光と闇を意識しながら、聖書の人物の姿が描き出されていました。光の細やかさを表現するためにむしろ闇の部分もしっかり多く描かれていたと思います。その中で、光と陰のグラデーションの表現が見事に表現されています。光の具合を表現するために、どこが光を放つ源であるのかがよく分かるように描かれていたと思います。「命は人間を照らす光」この光の源として主イエスは父の懐から、世へとおいでくださいました。
待降節は、二つの「到来(アドベント)」を覚えます。
一つは、救い主イエス・キリストの御降誕です。「神の独り子」の人間の歴史への到来に思いを向けます。三位一体の神様による一回の啓示の出来事です。神様の救済の御手が歴史に大きく現れた時です。
もう一つは、2020年を生きるわたしたちにとってもこれからのこと、主イエス・キリストの再臨を覚えて過ごすのが待降節です。歴史へのキリストの到来「受肉」を覚えることで、これからキリストが到来なさる再臨を希望を持って見つめます。
預言者イザヤは、救い主の到来について、「闇の中を歩む民は 大いなる光を見」たと表現いたしました(イザヤ9:1)。神の民たちは闇の中を歩んでいました。今年わたしたちは、新型ウイルスの脅威との対峙とそれに伴う様々な諸課題の露呈によって、世界的な規模で闇の中を歩む経験をしていると言えます。このような恐ろしい世界の中にいて、わたしたちはこの闇を自分たちで消すことはできません。けれども、イエス様の救い・「罪からの救い」によって、神様がお与えくださる光のうちに歩むことができます。どんな時代のどんな状況でも、福音を必要としている人がいます。光が証され、光が語られることが必要とされています。
使徒パウロは、自らが伝道者として立てられたのは、異邦人たちの「目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ」異邦人が主イエスへの信仰によって、「罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるため」(使徒言行録26:18)と言いました。「罪の赦しによって聖なるものとさせられる」ことは、まさに、救いに与り「闇から光に」立ち返っていくことです。
ヨハネ福音書の冒頭にもう一度戻ります。闇は恐ろしいものでありますが、聖書は光の 勝利を伝えています。この箇所では光と闇の対比が示されますが、光と闇は対等ではあり ません。「暗闇は光を理解しなかった。」とあります。新しい聖書協会共同訳では、「闇 は光に勝たなかった。 」 とあります。これは、「闇は光を凌駕できない」という意味です。光と闇は、対等な関係ではなく、光が闇に優って力を持っています。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハネ 福音書16:38)」と主イエスが勝利を言われている通りです。この光であるイエス様は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」(イザヤ9:5)です。光は「平和の君」として世に現れました。わたしたちは、一見するとこの世界に闇が見えてしまっても、神様に信頼して歩むことで、光の中を歩むことができます。この方は、「わたしたちのために生まれたみどりご」(イザヤ9:5)です。わたしたちとの深い関わりの中でお生まれくださった方です。光を見つめ、光を信頼してどんな時も心を高く神様に向けていると、神様がいつも導いてくださいます。光は、太陽が地上に昼をもたらすように、世を照らして罪を滅ぼし、輝く神様の世界をわたしたちに示します。その先には主の 再臨があり、新しいエルサレム、命の木、喜びの賛美があります。かつても、今も、これからも、イエス様はわたしたちのまことの光として輝いてくださいます。神様の約束に信頼して、感謝と希望のうちに神と人とに仕えましょう。
祈り
父なる神様、あなたは愛する御子をこの世にお与えくださいました。子なる神様、あなたはわたしたちの光です。聖霊なる神様、アドベントの時を過ごして参ります。わたしたちの礼拝、日常においてあなたの恵み深さを日々悟らせてください。主の祝福に満ちたクリスマスの時を迎えられますようお導きください。
この祈りを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン