「神の御前に立つ」
説教集
更新日:2021年03月16日
2021年1月17日(日) 公現後第2主日礼拝 家庭礼拝 牧師 髙橋 潤
マルコによる福音書1章14~15節
14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、 15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
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私たちは先週より「主の祈り」を学んでいます。1月7日より2月7日まで、非常 事態宣言発令の中、一致協力して収束への道を求めて歩んでいます。私たちキリスト者は、朝昼晩と絶えず祈りつつ生活します。そして平常時以上に祈りたいと思います。 本日与えられている主題は主の祈りの第二の祈り「御国をきたらせたまえ」です。「御 国」とは、神の国であり、神が王としてご支配くださる神の支配を信じる祈りです。 神の支配を祈るということは、私たちの通常の祈りを一歩前進していることではない でしょうか。私たちは通常、私たちをお守りくださいとか、助けてくださいとか、パ ンを求めて祈ります。今ここにいて生活上の助けを求める祈りをいたします。しかし、 御国を来たらせたまえという主イエスが教えてくださったこの祈りは、神さまがご支 配くださる御国が来ますように、神さまを私たちの都合に合わせて助けてくださると いうようなことではなく、私たちの価値観であるとか国籍であるとか、政治的な支配 に対しても私たちの命の土台を問題にするような祈りなのです。今、安住している人 生の土台が問われ、場合によっては大きく変わってしまうほどの祈りなのです。
もし、今私たちが新型コロナウィルスに支配されていると考えているならば、その 考えを否定する祈りです。私たちは、ウィルスではなく神の御支配を確信して祈るか らです。米国が大統領交代に際して混乱をしていますが、人間の支配ではなく、神の 支配を確信して祈る祈りなのです。主イエスは、この祈りを弟子たちに教えた時、ロ ーマ帝国の支配ではなく、神の支配を確信して祈る祈りを与えてくださったのです。 私たちが御国を来たらせたまえと祈るとき、この世の名誉、富、権力による支配では なく、神の御支配を信頼して確信して、感謝して祈るのです。
先月、私たちはクリスマスを迎え、主イエス・キリストが地上に遣わされたことを お祝いしました。主イエス・キリストはナザレからガリラヤへ行き、神の福音を宣べ 伝え始めました。そのときの御言葉が本日与えられた聖書箇所です。「14 ヨハネが捕 らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、15 「時は満ち、神 の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。」
主イエスは、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と語られました。 「私たちは神の国を間近に見るとき、応答と決断が求められます。」私たちは神の国 の一員になるのかならないのか自分に問うことになるのです。主イエスを救い主と信 じることは、単なる感情ではなく、具体的なことなのです。主イエスなる神がこの世 界に来てくださった事実を受け入れて生きるか、主イエスを私たちの支配者として受 け入れず、神と無関係に生きるのかどちらかになります。主イエスを救い主と信じて 生きることは、悔い改めるということです。これまでの支配者から真の支配者へ方向 転換して、身も心も神へと向ける、悔い改めるということです。「神の国は近づいた。 悔い改めて福音を信じなさい」という主イエスの力強い言葉に聞き従うのが教会です。
神の国は近づいたという言葉は、一つの緊張関係を表現しています。神の国は来たということと神の国はまだ完全には来ていないという中間にあるという緊張関係を意 味しています。すでに来ているということと未だ完成していないという緊張関係です。 これは、決して神の国が来るかどうかわからないとか神の国は理想の世界だというこ ととは違います。そうではなく、神の国はもう目の前に迫ってきている。有楽町駅で 山手線を待っていると東京駅を出発した電車が向かってくるのが見えます。電車はホ ームに到着していなくても、電車が来たといいます。主イエスの弟子たちは、主イエ スのお語りになった御言葉によって神の国が来たことを確信出来たのです。神の国が 完成することを確信して望み見ているのです。主イエスは弟子たちにすでに始まって いる神の国をみつめ、将来における御国到来を熱心に祈ることを教えているのです。
神の国が始まっているということは、ルカ 11:20「わたしが神の指で悪霊を追い出 しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」または、マタ 12:28「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのと ころに来ているのだ。」との主イエスの言葉からも理解することが出来ます。
主イエスが悪霊と戦いつつ、神の国はあなたちのところに来ていると語られるお姿を忘 れてはならないのです。さらに大切なことは、現在、私たちが主の祈りを祈るとき、今な お悪霊と戦ってくださっている主イエスが私たちと一緒に祈っておられることです。私たちの時間に合わせて主イエスが祈ってくれるのではないのです。祈っておられる主イエス の傍らに私たちは招かれて主イエスが祈る祈りの交わりに加えられて祈っているのです。 先週より、キリスト教基礎講座が始まりました。東京神学大学の学長であられた大住雄一 先生の著書『神の御前に立って 十戒の心』をテキストに学びを進めています。大住先生 は十戒を取り上げるためにまず、神の御前に立つということについて、大変丁寧に語って います。そこでは、「神のみ前、それは私たちが本当はいるべき居場所です」という言葉 からはじめています。主の祈りを祈ることも私たちは神の御前で祈る者としていただいて います。「今、私たちは、本来いるべき居場所を失ってい」るかもしれません。教会の中 でも、教会の外でも、本来立つべき居場所を失っている人が少なくないのです。神学校に おいても諸教会においても様々な人生の問題に直面し神の御前に立つことを失っている現 実を大住学長は誰よりも痛感していたのではないかと思いました。さらにこう語ります。 「私たちは神の御前にふさわしくない罪人ではないか。居場所を失った私たちが、神の御前に立つということは、神御自らが導き、招き、励ましてくださらないならばできません。」と語っています。主の祈りを祈るとき、私たちもこのことをわきまえておかなければなら ないと思いました。私たちは主の祈りを自由にいつでもどこでも簡単に祈れると思ってい ます。しかし、主イエスの招きと導きがなければ祈ることの出来ないものなのです。御前 に立つにふさわしくない私たちに主イエスが一緒に祈ろうと招いてくださり、主イエスが 祈る言葉をお手本を示して、私たちが主の言葉を繰返し、祈りの世界に招かれるのです。 大住先生は「み前から失われて帰ってこないかもしれない者がいる」という深刻な事態を 想定してこう続けます。私たちに、神は真実を尽くして、いつも、そしてどこまでも待ち 続けてくださった。待つだけでなくて、独り子イエス・キリストを私たちに遣わしてくだ さいました」と。一度、主イエスの御前に立ち、主イエス・キリストと祈った経験を持っ ていても、主の御前から離れ、失われて帰ってこないことがあるのです。確かに、私たち の教会生活においてもそのような厳しい経験は少なくありません。しかし、神の国の完成 を待つとき、主イエスと共に失われて帰ってこない友を覚えて祈る道が開かれているので す。私たちが忍耐して待つのではありません。主イエスが待ってくださっているのです。
私たちと失われた友が「本当の居場所に帰るために」、「私たちの罪を赦すために犠牲 となって下さったイエス・キリストが、神の御前に一緒に立ってくださいます。そして、 その道を教えてくださいます。神の御前に一緒に歩いてくださる道です。…」
この道は、主イエスが教えてくださった「主の祈り」を祈ることによって、主が祈るそ の祈りに私たちも加わらせていただくことなのです。これはとても大切なことです。
神の御心に従う事は難しくて出来ないと思わされる私たちは、どうしたら良いのでしょうか。「神の御心に従っているのは、主イエス御自らなのです。」と大住先生は語ります。 私たちは主イエスに目を向けることを忘れ、神の御心に従うことを諦めようとしていたの です。しかし、そのとき、私たちの前で主イエスが神に従っているではないか、自分自身 を見つめるのではなく、主イエスに目を向けようというのです。自分を見つめるだけの私 たちの眼差しをキリストへ向けなければならないのです。罪人なる私たちは、キリストが 共にいてくださらなければ神の御前に立つ事はできないからです。ゆえに、「私たちは主 イエスと共に神の御前に立ちます。神はその事を喜んでくださいます。」キリストが共に いてくださり、招いてくださり、私たちは神の御前に立ち帰るのです。
主の年 2021 年を迎え、主の日の礼拝において、主イエスが命をかけて私たちを愛する故 に一緒に祈ろうと招いてくださった主イエスの傍らで「主の祈り」を祈りましょう。
祈り
天の父なる神さま。あなたが失われた小羊である私たちを呼んでくださって、一 緒に神の御支配の中に招き、祈るものとしてくださる恵みを感謝いたします。祈りの交わ りの中であなたの御前に立たせてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン