赦しなさい
説教集
更新日:2021年03月20日
2021年 2 月7日(日) 公現後第 5 主日 主日家庭礼拝 牧師 髙橋 潤
マタイによる福音書18章21~35節
21 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を 犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」22 イエスは言われた。「あな たに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。23 そこで、天の国は次のよ うにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。24 決済し始め たところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。25 しかし、返 済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済 するように命じた。26 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返ししま す』としきりに願った。27 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消し にしてやった。28 ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている 仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。29 仲間はひれ伏して、『ど うか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。30 しかし、承知せず、その仲間を引っぱ って行き、借金を返すまでと牢に入れた。31 仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、 主君の前に出て事件を残らず告げた。32 そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不 届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。33 わたしがお前 を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』34 そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。35 あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同 じようになさるであろう。」
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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今朝の御言葉は、主イエスが、弟子たちに教えた「主の祈り」の第5の祈りを私た ちの祈りとするために与えられました。「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我 らの罪をも赦したまえ」です。第4の祈り「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」に続いて祈ることは大切な事です。すなわち「日用の糧」に続いて赦しを求めるのです。 日用の糧とは、日ごとのパン、私たちが生きる上で欠かすことの出来ない食事と同じ ように、罪の赦しを生きるために不可欠なこととして祈るのです。
日毎に食事が与えられて生きることが出来るように、日毎に神の赦しを受けて生き ることが信仰生活です。私たちは食べ物の大切さはよく知っています。最近は、何で も食べられればいいというだけでなく、より質の高い食べ物の重要性、食育が進んで います。しかし、食育に比べれば、赦しについての魂の教育は、貧弱ではないでしょ うか。食べることへの意識が高まっても、神に赦され、隣人を赦すことは、秘めた心 の問題として二の次になってしまいます。主イエスは、弟子たちに祈りを教えるとき、 日毎の食卓と共に、いやそれ以上に神の赦しの世界に生きることが大切であることを 私たちに教えているのです。
ある教会の会員に、コンクリートミキサー車の運転手がおられました。彼が運転し ている時、小さな子どもをひいてしまいました。突然、大きな罪を背負うことになり ました。彼は自己弁明することなく、ひたすら被害者家族のために心を砕きました。 教会においても皆で熱心に祈りました。彼は、長い期間、魂の平安を持てませんでし た。パンを求める以上に罪の赦しを求め続けました。いつしか心を閉ざしていた被害 者家族は、彼の誠実さを受け入れてくれるようになりました。
ある教会の会員は、親から譲り受けた財産として相続した会社が大きな負債を負い、 借金も何もないはずの生活が、一変し、とうてい返せないような負債を背負うことに なりました。この時も、教会の有志で祈り続けました。後日、奇跡的な返済方法が与 えられるまで、いつ死のうかと考えながら祈る毎日でしたと独白しておられました。
私たちは、具体的な事故に合っていない時、人生の負債について軽視しがちです。 もちろん、明日、負債を負うかもしれないと考え、自虐的になることはありません。
しかし、私たちの人生は、神の御前で負債がないといえるでしょうか。神に隠し、心 の奥底にしまっている問題を抱えている人がほとんどではないでしょうか。神から離 れて生きなければならない自らの罪を隠し、逃避して生きることは、真実の人生を生 きることにはならないのではないでしょうか。
主イエスは、弟子たちをはじめ、私たちが神の御前に真実に人間らしく、成熟した 人生を生きるために最も大切な神の赦しを与える用意をして、私たちを祈りの交わり に招いておられるのです。
主イエスは、ペトロが「兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでし ょうか。七回までですか。」という質問に対して「イエスは言われた。「あなたに言 っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」と応えました。
主イエスは、ペトロに対して寛大な人間になりなさいとか、隣人の罪を水に流し、 大目に見てやり、忘れて赦し続けなさいと教えているのでしょうか。そうではありま せん。ペトロに対して罪を犯す相手を兄弟として得ること、罪によって破れた関係を 回復する道を求めて生きるように、赦しの道を教えているのです。そのために 23 節以 下の「仲間を赦さない家来のたとえ」をお語りになったのです。
主イエスは、私たちがどのような負債を負っているのかを問題にしているのではあ りません。主イエスが私たちに伝えていることは、私たちが 1 万タラントン赦されて いること、にもかかわらずどうして百デナリオンを赦せない問題なのです。1 万タラン トンの負債とは、どのくらい大きな負債なのでしょうか。1タラントンは6千デナリオ ンと新共同訳聖書の付録「度量衡及び通貨」に記されています。1デナリオンは労働 者の一日分の賃金でした。1タラントンは6千日分、すなわち一年300日働くとし ても20年分の賃金です。1万タラントンですから20万年分の賃金ということにな ります。到底、返済出来ない金額の負債が1万タラントンなのです。大切なことはこ の莫大な負債額を赦す権力を持つお方がいることです。私たちの誰もが出来ない大き な負債、罪を赦すお方の前に立つことです。私たちは赦されてはじめて、私たちの負 債を知ることができるのです。罪を赦されるまで、私たちは自分が背負っている罪の 大きさも重さも分かりません。しかし、赦される中で、私の罪の大きさ、重さを知る ようになるのです。大切な事はこの大きな負債という罪が赦されることです。そして、 6千万デナリオン赦された私たちは百デナリオンを赦せない者であることを知るので す。百デナリオンは年収の三分の一、4ヶ月分の収入です。決して小さい金額ではあ りません。しかし、20万年分の賃金という負債を赦されていることを棚上げして、 百デナリオン返済出来ない仲間を赦さず牢獄へ放り込んでしまう姿が私たちの罪の姿 なのです。
主イエスは、言葉と行いによって罪人の友となりました。ご自分から最も大きな罪 人とされる人々に近づいていきます。エリコの徴税人の頭ザアカイの友になりました。 罪人として敬遠されている人々と一緒に食事をしました。主イエスは、その上で、罪 を赦す権威を用いました。4人の男が中風の人を屋根からつり下ろしたとき、主イエ スは「子よ、あなたの罪は赦される」(マルコ2:5)と言われました。ルカによる福音書7章に登場する、香油を注ぐ「罪深い女」に、主は「あなたの罪は赦された」 と語られました。徴税人ザアカイの悔い改めに応えて主イエスは「今日、救いがこの 家を訪れた」と語られました。主イエスは、十字架上で「父よ、彼らをお赦しくださ い。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)と祈られました。 主イエスは、十字架にお架かりになるまで一貫して私たちの罪の赦しのために心血を 注がれているのです。この十字架において私達の1万タラントン(6千万デナリオン) が赦されているのです。私たちの身代わりに私たちの負債を返済してくださったのです。私たちにとって無代価の赦しが与えられているのです。主イエス・キリストの犠 牲による罪の赦しです。この罪の赦しの権威をお持ちの主イエスが、一緒に「我らに 罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」と祈ろうと招いてくださ っているのです。主イエスの祈りの招きに応えるのが主の祈りを祈ることなのです。
「我らが赦すごとく」とは、どういうことでしょうか。神に赦してもらうために、 私たちが仲間を赦さなければならないということでしょうか。そうではありません。 私たちの赦しが神の赦しを受ける条件になるという意味ではないのです。そうではな く「わたしたちが赦したように」という主の祈りの御言葉は、神の赦しと私たちが隣 人を赦すことは切り離すことはできないことを教えています。故に神の赦しは受けた いけれど、隣人を赦すことは出来ないという不届きな家来を問題にしているのです。
主イエスは、神を信頼して、誠実に罪の赦しを求め、隣人を赦す人生の土台を与え ようとされます。主イエスは、神によって罪が赦される恵みを信じて、仲間を愛する 道を歩もうとお語りになっているのです。神の赦しを信じ、信頼し、赦されている恵 みを与えられて隣人を愛することを祈り求め、赦されて生きる人生を歩みましょう。
祈り
天の父なる神さま。祈りの交わりの中であなたの御前に立たせてください。あな たの十字架の祈りに支えられて、赦された者の人生を与えられていることに目覚め、主が 祈られる交わりに加えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン