銀座教会
GINZA CHURCH

銀座教会
GINZA CHURCH

  1. ホーム
  2. 銀座の鐘
  3. 御国を知らされる


銀座の鐘

御国を知らされる

説教集

更新日:2021年07月11日

2021年7月11日(日)聖霊降臨後第7主日礼拝  家庭礼拝 伝道師 藤田 健太

マルコによる福音書4章26~34節

 主イエスは様々な譬えによって「神の国」をお語りになりました。主イエスがお語りく ださる譬えは私たちにとって必ずしも分かりやすい内容ではありませんでした。「譬え」はむしろ「謎かけ」に近く、いったいなぜ、主はそのような仕方で「神の国」をお伝えなさるのだろうかと不思議に思います。しかし、考えてみれば、そのような方法以外に、言葉の上で、私たちが「神の国」について理解を深めることは不可能でなかったかとも納得させられます。私たちの言葉の限界というものがあります。使徒パウロもまた、人間の言葉を尽くして福音を告げ知らせる「宣教」は「愚かな手段」であるというある種のわきまえを持っていました(コリント一1章 21 節)。地上においては、神の国は譬えによって知ることしかできなかったという説明があります。「神の国」を知るために私たちに与えられ ている場所として教会があります。言葉と、言葉の実現である教会の双方によって、私たちには神様の御国を知る幸いが与えられています。

 先週主日礼拝の聖書箇所として与えられた 4 章 1~9 節に引き続き、本日の箇所でも主イ エスは「神の国」を植物の種に譬えてお語りになります。「からし種」は「黒芥子(くろか らし)」=ブラック・マスタードという植物の種子であると言われます。数ミリからなる小 さな種から 2~3 メートルの大きな茎にまで成長する多年草です。最も小さな種というわけ でもなければ、ここで言われるような「木」にまで成長することもありません。主イエス はここで、実際の植物自体についてお語りになっておられるわけではありません。実際の 植物を一つの手掛かりとして「神の国」の成長についてお語りになっておられるのです。「教会」の成長についてお語りになっておられると言っても良いでしょう。
  32 節には「蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」とあります。この言葉の背後には、旧約聖書の時代に預言者たちが語った「世界樹」のイメージが反映されていると言われます。エゼキエル書17章や31章、ダニエル書4章にそのようなイメージが登場します。そこでは、バビロニアやエジプトといった超大国が「鷲」や「鳥」に譬えられ、地上における神の都エルサレムが「レバノン杉」に譬えられます。旧約の預言者の幻の中では、鳥たちは都に茂る木を荒らすため飛来する危険な存在です。しかし、主イエスの譬えの中では、樹の幹は他のどんな植物よりも大きくなり、枝を張って、鳥たちに住まいを与えるとされています。礼拝の招詞として先ほどお読みした詩編84篇4~5節には、神の家を慕う人々の願いが込められます。主イエスの譬えには、神様の御国の赦しと招きが語られます。地上にあって神様の御国をあらわす「公同の教会」は、全ての民を礼拝に招いているのです。
 主が譬えを用いてお語りになる「神の国」のもう一つの側面は、26節以下に次のようにあります。「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」。当時の農耕・栽培の営みを想起させるような、まことにおおらかで、少し無責任とも思えるような1節です。神の国の成長について、人間は与り知ることができないとされます。夜昼、寝起きするような、私たちの 営みの中で、神の国は知らず、成長してゆくとされます。もちろん、教会は日曜には絶えることなく礼拝を守ります。日毎の祈りもおささげします。その他、地上にあって、こなしていかなければいけない仕事が山積しています。しかし、そのような中で、私たちは自分たちの手によって教会が立てられると錯覚してはいけません。あるいは、そのように自分たちで背負いこむ必要はないのだと諭されています。それはかつてイスラエルの王国時代、王を欲したイスラエルの民たちに対して、預言者サムエルが諭しと忠告を与えた通りです(サムエル記上 8 章)。私たちがこの譬えを教会の維持や成長を軽んじる口実にしてはいけないのは言うまでもありません。私たちの言葉による宣教が愚かな手段であったとしても、主はご自分の御力を表わすため、そのような道をお選びくださいました。この恵みにお応えするため、私たちはその道に励みたいと思います。
  教会は「からし種」のように成長してゆきます。全ての民を礼拝に招く公同の教会は、 私たちの目に見えなくとも、主ご自身が建て上げてくださいます。私たちが伝道によって 主を知らせる前に、主ご自身のお働きによって、私たちは御国を知らされます。教会は主の体です。主はご自分の体の枝として、私たち一人ひとりを教会の主にある交わりに加え てくださっているのです。

 天の父なる神さま。私たちに神の国を知らせて下さりありがとうございます。私た ちの拙い言葉を用いて、あなたは御自分の伝道の業を推し進めるお方です。あなたの 御力に信頼して、与えられている道に励むことができるようにお支え下さい。主のみ 体である目に見えぬ教会の交わりを信頼し、私たちに与えられている目に見える兄弟 姉妹の交わりに感謝して歩むことができますように。
主イエスの御名によって祈ります。 アーメン