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銀座の鐘

この方こそ主メシア

説教集

更新日:2022年12月23日

2022年12月25日(日)降誕節第1主日 銀座教会 クリスマス 主日礼拝 牧師 髙橋 潤

ルカによる福音書2章8~20節

 皆様と共に主の年2022年のクリスマス礼拝を守れる幸いを感謝いたします。一 年間、主なる神は、私たちの苦しみの時も喜びの時にも共にいて下さり、日々必要な 恵みを与えてくださったことを思い起こします。迷える羊である私たちを羊飼いが羊 を守るように導いてくださった神の恵みを思い起こし、主の御名を賛美します。
 皆様にとって2022年クリスマス、神の恵みを数えることができるでしょうか。 一人一人にとて、特別な一年を歩いてこられたと思います。振り返るとき、私たちは 主なる神が共にいてくださったのに、神がいないかのようにつぶやいたり、孤独を嘆 いた時もあった事でしょう。生きる事への恐れに支配され、神の恵みを数えられなく なったこともあるのではないでしょうか。御前に懺悔し御言葉に聞きたいと思います。
 ルカによる福音書2章8節は、野宿して、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いに 光が当てられています。聖書の時代、主イエスが誕生した頃も、羊飼いは珍しくあり ません。日常の光景だったと思います。羊の群れを守りながら野宿を経験することは 羊飼いにとって、大切な仕事でした。日常の仕事中、彼らは天使の声を聞いたのです。
 神はなぜ、羊飼いに主イエスの誕生を知らせたのでしょうか。天使はエルサレムの神殿やローマ帝国の皇帝に主イエスの誕生を伝えたのではなく、名前もわからない、ある地方の羊飼いに、イスラエルの神の民が何千年もの間、待望していた救い主の誕生の知らせを伝えました。世界を変えるほどに大切なことを「ある地方の羊飼い」に伝えたことの意味と神の意図を私たちはどのように受け止めたら良いのでしょうか。
 主の天使がある羊飼いに救い主の誕生を告げた積極的な理由は、イスラエルの神の民が忘れかけていたアブラハム、イサク、ヤコブという創世記に登場する族長たちを思い出させるためであったと考えることもできるでしょう。旧約聖書ではアブラハムもモーセもダビデも羊飼いの経験をもっていました。イスラエルにおいて最も尊敬されていたダビデ王を思い起こさせるためと受け止めることもできるでしょう。同時に覚えておきたい御言葉は預言者ミカの言葉です。
 ルカによる福音書は、旧約聖書に登場する預言者ミカの言葉に立ち帰りながら、クリスマスの神のご計画を告げ知らせていると思います。
ミカ書4章7~8節「7 しかし、わたしは足の萎えた者を/残りの民としていたわり/遠く連れ去られた者を強い国とする。シオンの山で、今よりとこしえに/主が彼らの上に王となられる。8羊の群れを見張る塔よ、娘シオンの砦よ/かつてあった主権が、娘エルサレムの王権が/お前のもとに再び返って来る。
 聖書において羊飼いの評価は様々です。良い評価もあれば悪い評価も聖書には記されています。羊飼いは当時の人々から神の律法を守ることのできない人々として蔑まれていたという説明を聞くことがありますが、聖書において羊飼いといえば、疎外された人々というよりも、巨人ゴリアテを倒した勇敢な羊飼い少年ダビデを思い出すのではないでしょうか。羊飼いを消極的に理解するよりも、羊飼いこそ、夜通し羊の群れを守っていた、クリスマスの夜、目覚めて天使の声を聞いた人々なのです。闇夜の中で、私たちが寝てしまっているとき、私たちの代わりに天使の声を聞いたのがクリスマスの羊飼いです。私たちの代表として天使の声を聞いたのが、ルカによる福音書 2 章に登場する主イエスを礼拝した羊飼いだったのです。
 この出来事は、主イエス降誕の数百年前に預言者ミカが預言していました。「羊の群れを見張る塔よ」と呼びかけ、「エルサレムの王権がお前のもとに再び返ってくる」と。羊飼いたちに、神のご計画が告げ知らされています。
ミカ書5章1~4節「1 エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。2 まことに、主は彼らを捨ておかれる/産婦が子を産むときまで。そのとき、彼の兄弟の残りの者は/イスラエルの子らのもとに帰って来る。3彼は立って、群れを養う/主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となり/その力が地の果てに及ぶからだ。4 彼こそ、まさしく平和である。
 旧約聖書において羊飼いは次のように紹介されています。
詩編23:1 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
イザヤ 40:11 主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め/
      小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。
エレミヤ 31:10 諸国の民よ、主の言葉を聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。「イスラエルを散らした方は彼を集め/羊飼いが群れを守るように彼を守られる。

 旧約聖書において「羊飼い」は「主は羊飼い」と記されているように、この地上で羊を養い育てる羊飼いを主なる神にたとえて語られているのです。主は羊飼い、神の姿がこの地上において羊飼いにたとえられていることは大切なことです。
 新約聖書において羊飼いはこのように記されています。
ヨハネ福音書 10:3 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。
              羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
ヨハネ福音書 10:11わたしは良い羊飼いである。
         良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
ヨハネ福音書 10:14 わたしは良い羊飼いである。
          わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
ヨハネ福音書 10:16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。
          その羊をも導かなければならない。
          その羊もわたしの声を聞き分ける。
          こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

 新約聖書において、特にヨハネによる福音書では、主イエス御自身が「わたしは良い羊飼いである」と繰り返し語っています。主イエスは、自分の羊を持たない雇われた羊飼いと良い羊飼いの違いを語っています。ヨハネ福音書 10:12「羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。
 良い羊飼いは、羊を置き去りにすることはしないのです。良い羊飼いは自分の愛する羊を決して置き去りにすることなく、羊のために命を捨てると、主イエスが自ら語っているのです。主イエス・キリストこそ、羊飼いの羊飼いなのです。だからこそ、ルカによる福音書は、羊飼いの羊飼いである救い主がお生まれになったことを誰よりも一番に、この地方の羊飼いに告げ知らせたのではないでしょうか。
 主イエスのご降誕とは、神が御自身の羊のために命を捨てる、真の羊飼いの誕生を伝えているのです。クリスマスの喜びはここにあります。脇見をして目の前の羊を見失ってしまう迷子の羊がいます。怖がりの羊がいます。食いしん坊の羊がいます。良い羊飼いである主イエスは、全ての羊を愛して、私の愛する羊として養い育て、命をかけて愛し抜いて下さるのです。ゆえに天使は「大きな喜びを告げる」というのです。
 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」13すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
 14「いと高きところには栄光、神にあれ、
     地には平和、御 心に適う人にあれ。

 主イエスが飼い葉桶に寝ていることは、ベットがなかったという貧しさの象徴というよりも、餌箱である飼い葉桶に寝ている姿を通して、生まれたときからすでに御自身の命を差し出している救い主のお姿として受け止めたいと思います。
 本日、4人の方々が洗礼をお受けになります。主イエス・キリストは、全てのキリスト者とともにこの 4名の方々のために命を捨てて生涯愛し抜いて下さいます。
 私たちを愛し抜いて下さる救い主の降誕を喜びたいと思います。本日より、降誕節に入り 1 月 6日公現日を迎えるまでの日々、クリスマスの喜びを味わいます。この恵みを味わいつつ、救い主の到来を感謝して主の年 2023年を迎えましょう。
 お祈りします。

 天の父なる神さま。羊飼いの羊飼いである主イエスを真の羊飼いとして迎える喜びを感謝いたします。天使の声に導かれた羊飼いたちが礼拝した声に合わせて、私たちの賛美を聞き上げて下さい。主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン