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銀座の鐘

神の偉大な業を語る教会

説教集

更新日:2023年05月26日

2023年5月28日(日)聖霊降臨日  銀座教会 ペンテコステ家庭礼拝 牧師 髙橋 潤 

使徒言行録2章1~13節

 本日与えられた使徒言行録には、五旬祭の日の出来事が記されています。元来、五旬祭とはユダヤ教において過越祭から五十日目(ペンテコステ)に行われる収穫感謝の祭りであり、同時にモーセがシナイ山において神から律法を授けられた日として覚えられていました。奴隷であった神の民がエジプトを脱出し解放された日を思い起こす日です。イスラエルの民が「神の民」として礼拝と生活の規範として律法を与えられました。そして、この日に聖霊なる神が降った、聖霊降臨と呼ばれる出来事が起こりました。律法授与記念日に聖霊なる神が降り、弟子たちによって「神の偉大な業」が語られました。聖霊なる神は、このペンテコステの出来事に出現しますが、聖霊は旧約聖書の時代から、現在に至るまで信仰を告白するにいたる神の霊として私たちの中で働いているのです。私たちが信じる神は、父なる神、子なるイエス・キリスト、聖霊なる神である三位一体の神です。聖霊降臨日以前に聖霊がおられなかったのではありません。聖霊なる神は三位一体の神として、永遠の昔から将来に亘って働き続けているのです。キリスト教会において聖霊降臨日はペンテコステとして、クリスマス、イースターとともに三大祝祭日の一つです。教会学校では聖霊降臨日は、教会の誕生、伝道開始の日として覚えるように指導しています。
 本日の御言葉は、最初の聖霊降臨日の出来事が記されています。最初の聖霊降臨日は、祈るために集まっていた主イエスを信じる群れの不思議な経験が記されています。それは、天から激しい風の音が家中に響き亘ったことではじまりました。聖霊なる神が祈りの部屋に来られたのです。聖霊が弟子たち一人一人の中に降った後、主の群れ一人一人に「炎のような舌」が与えられたのです。この舌を与えられた人々が、地中海世界各地の言葉で、何と神の偉大な業」を語り出したのです。
 主の弟子たちが、このような不思議な経験をしたことには、どのような意味があるのでしょうか。エルサレムに集まっていた主の弟子たちをはじめとする多くの人々が「一同に集められた」という言葉に注目したいと思います。この一同こそ、新しいイスラエルとしての教会が形成される出来事だからです。聖霊なる神の助けと働きによって、神の言葉が語られ、多くの人々が一つになったのです。これが聖霊なる神の御業、教会の誕生です。
 突然主の弟子たちが語学を身につけたという事ではありません。これは神の救いのみ業がイスラエルだけに留まることなく、世界へ告げ知らされ、伝道が開始されたということです。聖霊降臨日は、世界へ福音が宣べ伝えられる伝道が、本格的に開始されたことを私たちに伝えているのです。そして、今、教会に集まっている私たちも同じ聖霊の助けによって、家族や友人、知人へ福音を伝えるために、聖霊なる神が助け導いてくれることを確認することが出来るのです。
 「一同が一つになって集まっていると」とあります。ギリシャ語の聖書では、「一緒に」、「同じ所に」という二つの言葉が続いて、集まっていることが強調されています。復活のキリストによって心を一つにされた集まりです。彼らはなぜ集まっていたのでしょうか。一同が一つになって集まっていたのは、目的なく集まっていたのではありません。一同集まっていた理由は、使徒言行録 1 章に記されている通り、復活の主イエスが語られた約束を待っていたのです。「3 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」「4 そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。5 ヨハネは水で洗礼を授けた が、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」」
 復活の主イエスは、四十日間にわたってご自身のお姿を現され、神の国について語られました。ペンテコステに一同が一つになって祈っていた理由は、復活の主イエスが昇天される前に語られた「父の約束」を待っていたのです。彼らは復活の主イエスの御言葉を忘れることなく心に留めて、待っていました。その父の約束は、弟子たちの祈りの交わりの中に実現しました。使徒言行録1章8節の「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」との御言葉が実現したのです。主イエスがお語りになった「あなたがたは力を受ける」というこの「力」とは、復活の主イエスの証人となるということです。復活の主イエスと出会ったことを伝える証人になることです。
  「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」 キリストの証人として御言葉を語りはじめたのです。聖霊が降る前は、主イエスの十字架の意味も復活の喜びも分からず、主イエスをどのように伝えていいのか分かりませんでした。しかし、聖霊が降ったペンテコステの出来事を通して、聖霊なる神の導きによって洗礼へと導く言葉が与えられ、力強く主イエス・キリストの十字架と復活を通して罪が赦されたことの喜びを伝え始めたのです。
 使徒パウロはコリントの教会へ「聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。」(コリントの信徒への手紙一12章3節)と語りました。私たちが祈る時、礼拝をささげる時、信仰を告白する時、この時、聖霊なる神が働いているのです。 聖霊は目には見えませんが、私たちの中におられて、私たちを助け導いておられるのです。
 私たちは礼拝において、日本基督教団信仰告白をもって信仰を告白しています。その中で「我は聖霊を信ず」と告白しました。使徒信条によって「主は聖霊によりてやどり」と聖霊なる神を信じ告白しています。聖霊は信仰の実を結ぶ力として働いているのです。聖霊によらなければ、誰も「イエスは主である」とは言えないのですから、信仰を告白して いるとき、聖霊なる神がお働きになっていることをしっかりと自覚したいと思います。そして、聖霊なる神が私たちに救いの確信を与え、救いの喜びをもたらしてくださるのです。聖霊はキリストの救いの働きを私たちの内に与えてくださいます。聖霊は、私たちに信仰を与え、教会につなげてくださり、御言葉を通して喜びを与え、洗礼と聖餐の喜びを与えてくださるのです。聖霊によって私たちは、「一つに集められ」、十字架と復活の主イエスを喜び、主イエスを証することが出来るのです。聖霊は私たち一人一人に住まわれて、神の偉大な御業を語る者にして下さるのです。
 メソジスト教会の指導者ジョン・ウェスレーは、宗教改革の伝統に堅く立ちつつ、聖霊の働きを具体的に説明しました。ウェスレーは、聖霊の働きとは、私たちに信仰の確信が与えられることであると教えました。ウェスレー自身、自分が救われているということは、どうしたら分かるのかと悩んだ時期がありました。神の恵みによって義とされている、赦されているという信仰を頭で理解しても、その確信はどのようにして与えられるのか悩みました。そのようなウェスレーに与えられた答えは、救いの確信は自分の努力ではなく、聖霊によって与えられるということでした。ウェスレーはこのように語っています。「聖霊は、直接の感化や説明しがたい力強い働きかけを通して魂に働きかけるので、私たちの魂はどんなに動揺しても静けさを得ることができるのです。」ウェスレーは、聖霊が救いの確かさが揺らいでいる者に働きかけ、救いの喜びを与え、心の平安を与えて、私たちを変えてくれると語ったのです。このことは、ガラテヤの信徒への手紙 5 章 22 節以下の御言葉によって確認できます。「22 霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。24 キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。25 わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。26 うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。」ウェスレーは、信仰の悩み、対人関係について誠実に悩み、信仰生活は簡単ではないことを正直に告白しました。ウェスレーは試練を迎えた時こそ、聖霊が働かれることを教えました。聖霊なる神は、動揺する心を静かな救いの喜びへ導いてくださるのです。
 キリストを信じる信仰者の群れは、聖霊によって神の子とされているのです。ローマの信徒への手紙 8 章 15 節以下「15 あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。」「16 この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。」
 聖霊なる神を信じる教会は、御言葉を聞いて語る教会です。救いの確信を与えられた教会は、賛美とともに、神の偉大な業を語る教会として導かれるのです。

 祈りましょう。
 天の父なる神さま。聖霊なる神と共に生かされる恵みを感謝します。聖霊の助けと導きによって、神の偉大な業を語り、喜んで賛美する教会として下さい。 キリストの御名によって祈ります。アーメン